謎エッセイシリーズ第4段(多分)です。
今回は怪我のお話です。
私は今現在に至るまで大きな怪我なく病気なくそれなりに健康に過ごしてきた。
しかしその中でもちょいちょい怪我をすることがある。
最近の例で言うと、去年駅で人前で大転倒したことだ。(参考記事→運・動・不・足 - 電卓の計算記録)
今日はこれよりずっと前、私が幼児だった頃の話をしようと思う。
これは私が幼稚園にも入園するかしないかくらいの歳の時。
物心付く前だったがこの出来事は鮮明に覚えている。
寧ろこれが私の覚えている最古の記憶かもしれない。
私は親に連れられて駅に併設されているビルに訪れた。
そのビルは所謂駅ビルでスーパーや服屋、ドラッグストアなど数々の店が入っていた。
その店があるフロアにロビーのような空間があった。
そのロビーはベンチに囲われているような簡易的なスペースだった。
設置されていた硬い木製のベンチは、まだ3歳そこらだった私が立って首下ほどの位置に座面があるようなものだった。
子どもというものは登りたい生き物である。
そして、落ち着きのない生き物である。
私はベンチの上で身体を揺らして遊んでいた。
そして間もなく
落ちた。
このベンチには背もたれが存在していなかった(と思う)。
そのため後ろに身体を揺らした時、弾みで落ちた。
しかも地面はしっかり硬い。
後ろに倒れ、頭を打ち付けた。
この時泣いたかどうかまでは覚えていないが多分ギャン泣きしただろう。
ただ、当時のでんたくにとって人生で一番痛い出来事であったことは間違いない。(因みに数年後病院で人生一の痛みを更新することになるがそれはまた別の話)
そしてこの時に人生で初めての“たんこぶ”を作った。
当時の顔の大きさの比率から言ってもかなり大きな“たんこぶ”だった記憶がある。
ここで私は強くぶつけると“たんこぶ”ができるということを学んだ。
人は傷みで成長する。
そういえば映画やドラマで頭を強く打ち付けたことをきっかけに新たな才能に目覚めた人の話がたまにあるが、残念ながら私はその例に漏れた。
当然。頭なんて打たない方がいい。
そしてもう一つ、怪我の話を。
小学校中学年だった時。
私は原因不明の捻挫をした。
この時私は怪我の「理由」よりも「結果」しか記憶できない人なのだと自覚した。
今でもよく身に覚えのない怪我ができていることがある。
私は覚えてないのに周りは覚えていたこともあった。
遂には足裏から大出血していたのに親から
「血出てるよ」
と言われるまで気付かない始末。
怪我に対しては自分でも呆れるほど鈍感で注意力がない。
いい加減どうにかしないと大怪我につながりかねない。
と思って早数年。
もうこれは私の努力問題ではないのでは?
怪我はしない方がいい。
これ真理な。
おわり